12/2/24

思い出が急に扉を開けて

カンボジアに行ったのはたしか、1991年、92年、93年だ。
いずれも2週間足らずの短い旅だったけど、戦中、しかも最前線への旅だったので臆病なオレの神経では2週間が限界だったと思う。そんな中でもNGOの人達は働いていたのでそれはそれで頭が下がる思いだった。
ポルポト派による処刑場はいずれも凄惨なもので人間の持つ負のエネルギーの大きさに身の毛がよだつ思いがした。
多分、オレだってあのぐらいは殺っちゃうんだよな。殺らないと上官に殺られちゃうからね。戦争の馬鹿馬鹿しさは正にそういうところだと思う。
で、テレビのドキュメンタリーでポルポト派NO.2ヌォン・ツォイの戦後7年間のインタビューをやっていて見入ってしまった。
91年当時の最前線バタンバンの汚い名ばかりのホテルでポル派とUNTAC(国連軍)にはさまれてめしを喰った事を思い出した。後でそのポル派の中にやはりNO.2格のイエン・サリが居た事を知った。
思えばとんでもない旅だったが、反面忘れられない旅でもある。
正直、今でも夢をみる事がある。先日、残念ながら亡くなったジョー山中さんと93年に経験したあの悪魔的な高射砲の音、意外にちゃちな機関銃の音、地雷源の真ん中で気づいた金属探知機の故障などなど…。プノンペン郊外のブラックマーケット内にはUNTAC、ポルポト、ヘン・サムリン軍の軍服をそれぞれ売っていて誰が何者なのかまったく理解ない92年も恐ろしかった。もちろん銃もそこで手に入るわけだ。などなど…。
もうメチャクチャなんだね、日本の戦後もそうだったんだね、きっと。
で、【占領下の日本】はとても面白い(と書いては失礼か?)本で是非!!
と、思いつくままに。
2012/2/18 midnight

P.S.カンボジアの戦後を一度のぞいてみたいとは思う。