FROM FUSA

09/07/11

福島から下道(バンドマン用語で高速道路にノらないという意)で会津若松へ。
1987年以降多分来ていないと思う。BREAK DOWNに居るのが嫌になって、ボクは、ONE ARMというバンドをつくった。 そのバンドで当時、高円寺のJIROKICHIに居て、故郷の会津に戻ったドヤさんこと土屋さんに世話になって来たのだ。 ドヤさんは、母親の店の屋号を引き継ぎ“やすい”という呑み屋をやっていて、そこで明るいうちから芋焼酎なんか飲っちゃった。

ライブ会場に行ったら満員の客。実に嬉しかった。 自分としては声は出ていなかったものの、いい演奏を提供できたと自負している。 オレは未だ音楽というものが理解らない。好きな人がいて、その人を喜ばす事しか目的として思いつかない。 オレが大好きな人達を何とか喜ばす事しか、自前の音楽の目的がないのだ。 売れないはずだよねェ。

打ち上げは“やすい”に戻り飲んだ挙句、久しぶりに泥の様に眠り、翌日ホテルのチェックアウト後、 ドヤさんとメンバーの皆で絶品の蕎麦屋でまたまた日本酒を飲ってしまうのだった。

そしてよせばいいのに、ラーメン街道に乗っとり、評判の古川農園のラーメンをはしごするのだ。

ここのラーメンがまた旨いのでバカバカ喰ってしまう。
移動の機材車で寝、気がつくともう次のライブ地佐野の手前なのだ。あ〜あ。
佐野も大変ラーメンの旨い街。まいったねェ。
そしてここは、オレが敬愛したギタリスト塩次伸二、伸ちゃんが倒れた地なのだ。葬式もここでした。オレは、ここ佐野が伸ちゃんと直結する場所になった。京都や大阪ではない。不思議だ。
伸ちゃんが最後に演奏したダイニングバーKENで演奏し、伸ちゃんが倒れたホテルに泊まる。 ずっと伸ちゃんの事想っていたような気がする。

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